努力という能力

その他・雑記

久しぶりの更新ですな。

ブログ更新してないなぁと思い、ちょっと考えていることを文字にしてみようと。
きっと、内容の薄い、まとまりのない文章になるので、予めご了承ください(笑)

タイトルのとおりですが、「努力」や「頑張る」ということについて、僕が思ったことをだらだらと書きたいと思います。

たった17年弱の人生なので、なんの参考にもならないと思いますが、最後まで読んでもらえるとありがたいです。



少し前のことですが、ふと、今まで「努力」っていうものをしたことがないなぁと思い、「努力」っていうのが何なのか考えたことがある。

僕の中での「努力」の意味は、

・自分の好き好む分野や事柄ではない(好きなことは「努力」ではなく「探求」だと思ってる)
・何かしら、目標やポイントに向かい、結果として何らかの成果が挙がる(成果が挙がるかどうかは賛否両論あるかな)

だと思ってる。

自分の好きな分野をそこそこに極めるのは、得意な方だと思ってる。

ただ、自分でもびっくりするほど、興味のないことや嫌なことのレベルを引き上げることが苦手。

苦手というかできない(笑)

一番わかりやすいのが、学校の勉強。

同年代の子たちは、真面目に学校に通って、塾に通って、受験勉強をして、学力レベルを引き上げて、いい高校を目指していた。

とてもじゃないが、僕にはできない。

所謂「学校の勉強」が嫌いだから。

勉強は人並みにこなせると思っている。

中学受験は、ノー勉強でいけたし。

ただ、そのレベルを引き上げるとなると、当たり前だが、勉強をしないといけない。

自分の嫌いな分野のレベルを引き上げる。

これが「努力」だと思う。


僕は、何か行動を起こすときは必ず、「自分にどんなリターンがあって、これからやろうとしていることに見合っているか」を考える。

投資と同じ。(ある意味、自己投資だし)

同年代の子たちを見てて謎なのは、「その努力の先に何があると思ってるのか」

どんなに学力が優れていても、仕事をこなせなければ、他人からすれば社会のお荷物。

もちろん、「中高生っていう幼さで、みんななんとなくでやっているだけ」なのは、わかってる。

ただ、それでも、しっかりと成果をあげている人も多い。

それが、「努力という能力」だと思う。

自慢じゃないが、僕は、大抵のことは人並み以上にこなせると思ってる。

でも、「努力」っていうのはどうやってもできない。

自分で自覚している一番劣ってる能力は「努力すること」かな。


「頑張れないときが一番辛い」

とある人がよく言っている。

これは、僕もそう思う。

努力するっていう感覚がわからないから、何とも言えないけど、「やりたくないやるべき事」を上手くこなせない時って、すごくイライラするし、すべてのやる気が失せる。

好きなことか嫌いなことかは置いといて、何かしらに必死になっている間は、明確なこなすべき課題があるから、気分が楽。

そういう意味でも、努力する能力を持ってるほうが、人生は楽なのかもしれない。

でも、もう僕は努力できない人間だってわかったから、嫌なことはやらない人生にシフトした。

だからこそ余計に、「努力」って、すごく立派な能力だと思う。

一時期、本気で「自分なんでもできるんじゃね?」って思ってたけど、やっぱり人に劣る部分もある。

「努力」したことがない気がしたのは、本当に「努力」ができない人だったっていうことみたい。

なかなか大事な部分が抜け落ちてる人になってしまった気がするけど、そこまで困ってないし、できないこともあったほうが人生面白いと割り切る(笑)


すごくしょうもない内容な気がしますが(笑)、最後までお読みいただきありがとうございました。

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