いろんな人からよく、「親が死んでも泣かなさそうだよね」とかいうことを言われる。
両親とも、まだまだ元気だから、あんまりこんなことは言わない方がいいのだろうけど、正直、泣かないような気がする。(実際のところはわからんが。)
去年の10月に祖父が脳梗塞で倒れた時、自分でも驚くくらい悲しさとかの感情がなかった。
なんとも思わなかったわけじゃなく、仕方ないと思ったんだと思う。
人は、死んで当たりまえ。
小学校4年生くらいのとき、初めてそう思った。
特にきっかけがあるわけではないけど、それ以降、その考えが定着した。
小学校の道徳の授業で、生と死について考える時があった。
僕はそのとき、「生きる意味なんてないし、人類に意味なんてない」って思った。
人類が全滅した地球に、生態系がどうのこうの言う人間はいないんだから。
今も、その考えは変わらない。
でも、たしか、授業のまとめの時に、「人間には地球を壊した責任がある」みたいなことを書いて提出した記憶がある。
惰性で生きてたとしても、地球に生まれ地球を壊した責任が、人類にはある。
そんなことを思った。
あくまでも、僕の考えだけど、
神様なんて都合の良いやつはいないし、ここまで地球を変えてきたのは、確実にヒトの力だと。
人間が地球に、住んでるんじゃない。
「住まわせてもらってる」んだ。
それを皆は忘れてる。
何が言いたいかっていうと、「地球に生まれ落ちた以上は、何があっても、生まれた責任をもって人生を全うしないといけない」って思うということ。
そして、人間は、「死ぬこと前提で生きてる」ということ。
生き方も、死に方も、最初から決まっているのかもしれないとも思う。
だから、身近な人が死んだとしても、悲しいとか寂しいとかよりも、仕方ないっていう感情が先に立つ。
神様を信じないところとは矛盾するんだけど、死に方が最初から決まっているとしたら、それが事故であっても、殺害であっても、どんな死に方でも仕方ないと思うし、そう思える。
そう思ってるから、泣かないと言えるのかもしれない。
そして、最後に。
「死ぬことは当たり前で、決して悲しいことではない」ということ。
別れることが悲しいのは分かるけど、死ぬことは、避けられないということです。
まとまってない文章で申し訳ないですが、最後までお読みいただきありがとうございました。